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書法の系譜シリーズ3 秦漢簡牘から張芝、皇象、索靖、陸機、王羲之まで草書(章草)の変遷を語りました!Chinese Calligraphy

書法の系譜シリーズ3 秦漢簡牘から張芝、皇象、索靖、陸機、王羲之まで草書(章草)の変遷を語りました!

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2021年3月29日

皆さま、こんにちは!

前回は隷書から楷書にどうやって行ったのかな!?

その変遷、系譜を少しずつ変わっていく様子を見て楽しめたと思うんですけれども、

今回は王羲之が書いた書の中でも、最も多くを占めている草書、つまり尺牘などのお手紙で使われて、それがたくさん残っているわけですけれども。

それがどう篆隷(秦隷)からいったのかということを見ていこうということを考えていきたいですけれども、

先ず基本的に草書には章草というタイプと今草というタイプと二つあるんですよね!

その先ず章草から、まあ王羲之ぐらいの時代まで、もうその後あんまり使われなくなってしまったから、 その古いタイプから見ていけたと思うんですよ!

それでこういったを用意したんです。先ずまあ資料の紹介からいきますよ!

まあ基本的に最初の四つと陸機《平復帖》は墨蹟であとは法帖から取ってきたんですよね!

張芝《秋涼帖》、皇象《文武帖》、索靖《七月帖》、王羲之《豹奴帖》、《冬中帖》

それでこの里耶秦簡は湖南省龍山県里耶鎮という場所で出たんですね! 少数民族が多く住んでるところですけれども。

秦·始皇帝三十四年の紀元前213年からいくわけですよね。

これで次がこれが湖南省ですよ!やっぱりすごく簡牘がいっぱい出てるんですけど!

この虎渓山前漢簡は、まあ沅陵県で発見された。前漢(前漢·後元二年、前162年)ですよね!

それで次のこちら尹湾前漢簡(前漢·元延三年、前10年)が出てまいりましたよね。

これは江蘇省連雲港市(東海県尹湾村)ということでしたよね。

これで春秋公羊伝の磚文(後漢·元和二年、85年)とすごいんですよね!これは箆で粘土の表面に書いて、それから焼くわけなんですよね!

そういう風に書いたからすごく線的に見えるんですよね!そういった形で残っちゃうと面白いですね!

他のものは墨蹟、墨で書いたものですけど、これは違うと!だから非常に線的だと!

それで張芝は後漢より少し後ですけど、この人は酒泉 (甘粛省) という場所があって、これはもうずーっと西域の方にいく、そのシルクロードの最初の中国で言えば、最初の方、西域に入ってくるところなんですけども、

それでまあこの人は河南省に移ったんですよね。弘農という場所なんですけど。

それで皇象は三国まで入ってきて呉の人でして、徐州(広陵郡江都県)で江蘇省揚州市(江都区)、そのあたりなんですね。呉の中心地でした!

それで索靖というのは敦煌郡(龍勒県)でやっぱり張芝のお姉さんの方の系統でまあ一族であるんですよね。

だから西域の方にいた敦煌郡(龍勒県)の方でこの人はもう西晉ぐらい入ってるかな。

これで陸機も呉から西晉に行きましたよね!(揚州呉郡)呉県の江蘇省蘇州市(呉中区)ですよね!

それで王羲之はやっぱりその辺りですけど、会稽郡とか、浙江省とか、江蘇省とか、そのあたりですけど、

結局ここ(秦代)から王羲之までやっぱり500年ぐらいあるんですよね!

じゃあその中でどう変わってたのかと一つみていけたらと思うんですよね!

先ずこの里耶秦簡は面白いのが、睡虎地秦簡がありましたけど、篆書を書いている感じがする部分が多くあったりして、非常に丸みを帯びているんですよね。

だからここのところなんか、本当に点折というんじゃない、丸みを帯びている!

筆で書きやすいように、こういうところを工夫されているなというふうに感じでして、

まだ波勢と言いますけど、波磔があんまり生まれていない!すごく線的です!

ここもすごい!だからもう本当にグワッと入れたら、ピーッと本当に素直に書いている!

これで丸い所なんかすごい、横線がでやっぱりで強くて、線が弱くなっているわけですね。ちょっと細いわけですね!

本当に面白いんですよね! すごく象形性が残っていると言う感じでありますけれども、

やっぱり右肩が少し下がっていたりして、それで下の方が少し重くなってくるという、

そういった字の結構は少しまだ肉付けがないにしても、形としてはあったりして、本当に面白いという!

こういった形が本当に秦の時代に普通に書かれていた文字でして、篆書とは月給部これはもう公式書体でして、これが本字だという風に言って、

それを書いていると、もう時間かかってしょうがないから、筆に沿った形でできておりますね。

それで次のこれは漢の時代に入ってますけども、虎渓山漢簡においては、すごい右肩下がりなんですよ!こちらなんて、もう本当に!

それでこの線を見ると今ここには出てないんですけど、楚簡がありまして、 もうこれは戦国時代ですけれども、南の方の楚で書かれてた文字とすごいその線に出るんですよね。

だから字形の変化が変わっていたとしても、その筆でもって簡に書くときのその使い方、筆の使い方、線の引き方まで似てるんですよ!すごく丸く行くところが、ここにいってピンっていく!グーときて、この中鋒でずっと来ているから、ピーときれいにここが抜けてるんですよね!

これですごい左の方と右の方のバランス、こっち軽い、こっち想い、すごい!しかもすごい右肩上がりで、下を重くしてるという、

それで横にグッてきたら、下の方をグッとして、ここでやっぱり全体を支えているような感じしますよね。

ここなんかも、これどうしてこうなったかというと、結局筆を入れたら、こう結局、中鋒で書くというのはどういうことかというと、

線よりも、ちょうど後ろ側を筆の一番長い命毛が通っていくわけだから、

こう来たら、筆をイメージしていただければと思いますけれども、

これはこういう下に右下に下がっていく線は、左上の方に筆管がちょっと倒れるわけですよね。それでグーと力が溜まってきて、転換するところになったときに、少し自分の前ぐらいにして、左前から前ぐらいになって、中央になって、そこから今度は右前ぐらいに傾いていって、それで最後はここを引いていく時には、筆管は少し右側に傾いてるんですよ!

つまりこちらに行くから、左に行くからという形で、ここでグググググとななって、こうやって回ってきてるでしょ!これ!

そうしたら最後は結局人間は右手だから、こう来たら、ここからは力が入って来ない!だからパーンと抜けてるんですよね!

非常に綺麗に筆がまとまって抜けているから、中鋒できてるから、きちっと書けているんですよね!

それで下は右下がすごく強くなると言うのは、結局人間が右下から、右利きだから、それで中鋒で書いていくと、

左側はやっぱり人間の解剖学上で手の動きからすれば、力がどうしても入りにくいんです。

ここは行きたいがためにわざわざこの右に倒したから強くなってるけど、

でもここはすごく弱くなるでしょ!ということで右下はすごく重くなる!当然人間は左前に筆管を傾ける方が書きやすい。

右側にこう持ってくるというのは、ちょっと手の動きからすれば不自然なんですよね。

だから左より右が重くなるのは、当然で人間の手の作り方から言えば、自然であるということは分かるんですけどね。

とにかく章草はこの回るところがグイーンがすごい後の時代までも特徴的ですから、ちょっとここのところで注目して見ておりましたけれどもね!

すごいですよ!ここが太いでしょ!こうだったってタッタッタッとリズミカル。ここで下でグッと抑えて、

ここ「中」もこれ潰れちゃって、何とも言えない!おもしろい形をしているんですよ!ものすごい特徴的!

この人の書き癖じゃないかなと思うんですけどね。この一般的なその当時のというか、でも線の引き方なんかはそういった意味で非常にもう筆の使い方手の動きにかなうという!

ここもグイーンと下まで行き、キョンと跳ねているでしょ!

それでここなんてこの「丑」は手の形ですが残ってますよね!

相当これ右肩下がりですよ!ものすごいこれは、いろいろと見た中でも、これが一番強烈かな!この虎渓山漢簡が!

それでここもグイーンと来てグーンと上げている!

ここは逆にもう注意して太くして書いているから、こちらはやっぱり筆がピンと抜けるんですね。

という感じでここもグワンと言って、キューと走って、こっちに行ったと言って、最後のきれいに書けている!

この人は筆がブワンと開いてすごいですよ!

強い打ち込みが、簡に対して強いということはあるんですけどね。

それで尹湾漢簡の《神鳥傳》はなかなか面白い!鳥に託して色々と当時の政治なんかを風刺したような文学的にも面白いんですけどね。

その最初部分なんですが、ここは簡が断裂してるから、真ん中がスパンと全部入ってますけどね!

まあこれはまあ頭の中で復原して、見て頂ければと思うんですけれども、

これを見ますと、さっき言ったこの回る所で点折から、強いですよね。ここの下の所も、ここからブイーンと、これで強いですね!このやっぱり回るところ、回った後は、もう注意して、そっち側に行く気持ちが働くから、太くなるのは、当然の事ですごい後の書きやすいところは早くて、非常に痛快なんです!

この書はもう本当に!それでこの「陽」もここらへんにありましたよね!ここに結構この時代は縦長だという、もう簡牘に詰めて書くからとお話しましたよね。

これものすごい字間が詰まってますよ!それでここは空いてますから、これでもういっぱい詰め詰めで書いている!

そういった形でグイーンといってすごい痛快です!

でも基本的な線の打ち込み方、それから弾き方は非常に大きく全然違うに見えるけれども、

この里耶秦簡と虎渓山漢簡と尹湾漢簡はちゃんと引き継いでいると、基本的に筆の使い方は、そんなに大きく変わらないと、それは後は文字の構造上の問題でして、

ここの時に簡にいっぱい冷たいという形ですね。

と思いきや、「執」という字もブイーンとすごいですよね!これは簡の端っこだから切れちゃっているけれども。

それでこの人は回った後が太くして、回った後は弱くなるから、方向が変わるわけですから、注意してグーンとやってるわけですよ!

そうすればこういった形になると!

ここも曲がってすごい、この「蟲」も当に入ってこの周り方が、特にすごいから持ってきたんですけど、

そういった感じでこの《神鳥伝》も非常に個性的でありますけれども。

この《公羊傳磚文》、《春秋公羊伝》の最初の部分ですね。

「元年の春の正月」とこの《公羊伝》は問答形式で、これはどういう意味なんだ、こんなんだよという感じで「元年とはなんだ?」これ「君」は王さまの最初の年だと答えているという、

問答形式で《春秋経》を解説というか、注釈しているんですけれども。

これはもう箆でスカンスカンと書いてありますから、すごく当時の文字構造がよく分かる。

こういった墨跡は結局、強い部分と弱い部分があるから、あれなんですけれども。

非常に似てますよ!この虎渓山漢簡のこの部分とこの線質がすごいもう遒勁というか、強いわけですよね!ものすごく強い!

それでなかなか痛快なんですけれどもね!

回るところなんてグイーンと箆で書いてるから、もうグーッと行く部分とこっちは回ったでしょ!ここで少し点折で弱くなったでしょ!それでグーンと浮かしているということでして、

変わる方はやっぱりそうですから!だからそういった形で書いたとしても、墨でなくても、その筆で書いた時の癖というか、方法はちゃんとこういった箆で書いても受け継がれているというのが面白いですよね!

ここでブインと入ってまして、ここの打ち付けも強いしね!

最後でここをちょっと波勢の感じはありますね!こういうところに残ってたりする感じで、

ここは特に「蟲」「執」もそうですよね!

この最後のここのところ、すごく似ていますよね!すごく本当にこのカーブの所もすごい似ている!すごいですよ!これ場所も全然違うしね!

もうここからここまで100年くらい違うんですよ。

でもやっぱりその書き方は法則性があるという面白いでしょ!

本当にびっくりしちゃうくらい似ています!

ここもすごいですよね!この文字が少し右肩下がりなんですね!

こっちも右に回って下がってるんですよね!

まあとにかくこの点折から、こう書くから、そうするとドンドンドンド右肩が下がっていくんですよね!

結局上げていない!ここはこの間もそうでしたけど、この横の線が方向が違うんですよ!最後の1本だけがこう来ているから、安定感があるんですよ!

後の三本は上がっているんですよ!特に一番上なんかもそうですけど、安定感を持たしているという、なかなか面白いんですよね。

こっちはまた別の上の四本がものすごい狭い。

それでこっち下のところでグインとお皿みたいに受けているという、

これも非常に面白い水平から持ち上げてるような少し最後のところでこの特徴じゃないかなと思いますね。

ここなんて大きくグイーンとこっちがちっちゃいでなかなかユーモラスな形をしていますよ!

本当にそれでこのやっぱりそのアンバランスのバランスというのも、少しずつその章草に受け継がれてるんじゃないかなと、

逆に楷書ではきちっと整えるけど、そのそれは今草でもそうですけれども、草書の特徴なんじゃないかなと思って見ていたりするんですけどね。

張芝《秋涼帖》はもう法帖だから、ちょっとわかんないけど、当時もう後漢の時代に名手と言われた張芝!

それでこういうところなどを見るとやっぱり最後に特徴がありますよ!

それでこっちもそうですけど、それですごいことが、ここを見るとここのところがちょっと凹んでるでしょ!

直ぐに強い! ここまで来る、それでピンと下が抜ける!ここすごい特徴がで似ていてあります。

やっぱり法帖だから完全に細かいとこまで分かんないから、

まあ拾っていくという感じで見ていますけれども、

ここをチュンとやって、チュンチュンチュンチュンと、もう本当にこれは結構、長く線を引いてますよね。

だからもっともっと短い距離で書いた方が早く書けますから、そういった形で、これも面白いんですよね!

でも下なんか、これなんか、もう草書と同じようになって、もう記号みたいになっちゃってんですよね。

もう「下」「上」とかこういったことは、もういっぱい出てくるから、本当に速く書くために「為」もそうです!もうこれだけでクルンと回って、ピュンとするだけで「為」になってるんですけど。

やっぱりこう回るところなど、やっぱり特徴は法帖で失われたとはいえ感じられたりして、なかなか面白い!

それでこのもこのやっぱり転換した後が強くなってますよね!そういったのはやっぱりそれは先ほど言いましたけれども、

筆がこういったものを見るときには、線を見るときには、ここで言いましたけれども、

ここで次行ってみましょうか!これ左側に傾いていたところから、つまり線の行く方向とは、逆方向にその筆管は倒れている!そうすればこういう線が引けるわけですよね!

筆をばねのように使えるから、ここのところに入ってくる瞬間の所では、少しずつ前の方に行きますよね。自分の体から逆の方に前に倒れる。

これで来たら、今度は右前に行って、最後は右に行くと言うね。

この線とは逆方向に筆管は倒れるということが、そういった動かし方がしている!強調して言えばですよ!

そういった細かいところでチュンチュンと動いているわけですけども、

こういった形で見えていけている、皇象は特徴が漢間の中には結構鋭いものがあるんです。

本当にこれにそっくりが漢簡があるんですよ!これは敦煌でとか、もしくはもう西域の方で出た、居延簡の中ではすっごくこの形に似ているものがありまして、

すごい文字がパンパンと走って、線で全体をもう思わせるように書いていくっていう、ここなんかだって、すごい ですよね!

人偏がこれだけでもう分かっちゃうわけですよね。全体の形が見えてくる!それで横にガンガンガンガンと降ってくるんですよね!

それがなかなかこの「將」も、本当にこういうものいっぱい入ってくるから、もう瞬間的にこれだけで、もう記号みたいになってる。

皇象は居延簡にそっくりだから、やっぱり当時の筆法を引き継いで言ってみれば、

特にあんまりその肥瘦の線に太い細いをつけないで強い線でピピンと書いていくということが感じられてるんじゃないかなあというふうに!

もう精悍な線質じゃないかな。

これで沈着で使いじゃないかなというようなことがありまして!

それで皇象は《急就章》という文字の《千字文》みたいな、そういった漢字がダブらないで色んな字が出てくるものを書いていたんですけれども、

この索靖も書いてんですね。あとはこの人は《月儀帖》というお手紙をこう書くんだよ、何月はこう書くんだよという文例を書いていたりして、名を成しているんですけどね。

この人の筆勢はこ、こなんかは特にそうでもうすごい特徴が、今私ここでみましたけども、そっくりなんですよね!本当にびっくりしちゃう!

それでこの人は結構、墨をグンと行ってやってますよね。

だからグッグッとすごいんですよ!

この返りのところ、グッと瞬間的に強い!ここもグッと!

だからすごく短い線なんだけど、こっちはすごい長い線で書いている!

こっち短いんだけど、瞬間的な返りの速さ!

これは昔から銀鉤と言って、銀の鉤(かぎ)、もう本当に強い!それで蠆の尾じゃないか(銀鉤蠆尾)と言われていて、

この人はすごい筆勢が強いということで、もう直線と曲線のここはもうすごい!返ったところで曲線になって、 こういうところ返りなどもすごい!

すごく見られましたよね!本当にだからそっくりであるんですよね!

この辺はすごい速い!すごく皇象に似てるでしょということでたっぷりのところ、少し渇筆でいいんじゃないかなあと思うから、まあ法帖だから(細かい線質を知るのは)難しいけれども、形やまあ微妙なその線の変化はちょっと感じてきて、

ここは強く出てるから、この後はパックマンだったですよね!

それで陸機はもう一杯見てまいりましたけれども、そう考えるとすごい!

その陸機の書はすごい穏やかというか、鋭さはあるんだけど、大きな意味できると円転といい、やっぱり丸みを帯びてすごいやっぱり優美ではありますよね!そう思います!

タンと入って、グンと行くんだけども、そんなに直線的でなくて、大体少しみんな丸みを帯びた線でそれを積み重ねて構成されている!

それで縦なんかもすごい丸みを帯びていると話していましたけれども、

その線質の移ろいとか、緩急はやっぱりを趣きがあるんですよ!本当に!

それでこういう直線ぽいところだけれども、少しやっぱり圧を加えて、線の変化が中にあり、ここも面白いんですけど。

だからそういった形で特徴は見られるんですけど、結構その前の簡牘を見るとすごい覇気が勝っているという感じがしますよね。

これもものすごく力強い感じがする!(しかし陸機は)すごく穏やかで上品なんですよね!

それで王羲之にくるでしょ!それでこの《豹奴帖》と《冬中帖》は、王羲之の中では殆ど今草が多いんだけど結構、章草も好きだったらしいんですよね!

それでこう言ったところに見られるんですけれども、本当にびっくりしたのは「問」ですよね。これ門構えだからとか、これは「尚」ですよね!点々があるから!

ここの回り方とか本当に章草の特徴を理解していたから、ちゃんとしていたと!ここの動き方ありましたよ!本当にこういうところとか!

あとは索靖の中にも特徴がすごくよく引き継がれていると思ってみているんですよね!

そう思うと文字の系譜を見ていくと面白いんですよね!

それでここが最後の波勢のあるとか、こういうのは居延簡あたりとか、皇象の特徴をすごく継いでますよね!

それで王羲之はパーンと横に張って、やっぱり横張りの字形だというのは知っていたんですよね!

それをこの章草はこれで「羲」の所のしたや「之」もグーンと行って、これは本当に隷書ぽいですよ!

だからこういった形で「頓」も、こうきて、こっち側がこうなってるけど、点で行っているんですよね!

これはすごい索靖ぽい!ここがありますよね!切り返しが強いわけだから!

それでこっちでピンと行って、ピンピンと索靖ぽいでしょ!すごく似ているでしょう!

ここなんかこれは波勢は尹湾漢簡等と似ていて、王羲之は、こことか、こことか、やっぱり彼はこういうところもそうですけど、当時使われていた色んな書風をいいとこどりをしていると本当に感じました!

まあ音楽でいえば、バッハみたいですよ!本当にいろんな考え方、作り方をもう全部ね王羲之は使ってると、

それでしかもその後の人に伝えたという、そういう意味でも、バッハに似ているなということをすごいこれを見てもそういう風に感じているんですよね。

それで結構この回るところの安定感とか、ここでガンと当てて、グッと行ってから、ガンと当たったら、ちょっと下から上に戻ってから、こう行って、こういう細かいところが、王羲之は非常に細かい!

この線の変化!線が縦から入ってから、この切り返しは強くなると言いますよね!

みんなそれで後も下も強いし、切り返しが深い所、その後が強くなる!

これもそういうふうに似てますよ!ありますよね!そういった筆法がきちっと継がれているのが分かって、

こちらの《冬中帖》はまあ結構こちらを見ると今草ぽいところもあるんですよね。

やっぱりすごい「月」の書き方も、この張芝とか、索靖も、そうですけども

すごい章草かなと、ここでスーときたら、ティンと行って、ここも面白い!この角度が違うでしょということが、ここに行って、ここは空いてる!ぶつけない!くっつけない!下も開いているという、なかなか趣きがあるんですよ!

テンと入ったら、こっちでグイーンと強いから、すごく肥痩の関係が、

左が細くて、右が強いという、この中で閉まってないとていう、面白さがありますよね!

それで「之」は左右に振って、これも本当に隷書ぽいでしょ!

そういった感じで王羲之というのは、本当にここも、ここは強いでしょ!

ここを上げてここは散漫に見えないんですよね!こうなって!

それでしかも最後の「懷」でこれは「心」だから左右の角度、こっち入って、こっちで抜けているという、

上がちょっと重くて、このアンバランスのバランスというか、もう見事だということで!

章草を見ても、王羲之は、今までにあった色んな簡牘や書人たちの色んな方法をもう全部吸収してるのがよく分かって、それが見事に使われてるなというふうに感じて、

やっぱり王羲之の見方として面白いんじゃないかな!こういう書の系譜を考えながら見てゆけるということで、

今回もものすごく楽しんでまいれたと思うんですよね。

それで次回は今度は今草、今の草書と最初の監督の部分は非常に似たようなところもあるんですけれども、

それやってみたいと思うんですよね!

ですからどうかお楽しみにしていただければ幸いです!

今回も章草で大変盛り上がりました!ありがとうございました!

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